かくして朱、華弥、枝乃の三人は六ノ郷を発ち、ふつうに官道をひたすらまっすぐ歩いて都を目指した。途中、柄の悪い連中に絡まれたりもしたがすべて朱が撃退し、疲れた枝乃を朱が背負うことで彼ご自慢の体力のなさも解決、そしてついにそろって都の正門に達したのである。
そのとき、じつに出立から二十日目。
「駄目じゃないですか!」
枝乃が朱の背中で泣きわめいた。
「うるさいねえ。枝乃さん、あんたしっかり観光満喫してたじゃないかい」
「あれは視察でございますよ。都より東側は見たことがなかったものですから」
「ああー、あたしは逆に西側って行ったことないねえ。どうにも隔たりがあるよね」
などと言いあいながら大路を行く。百人が横に並んでもなお余りそうなほどの大路は、両側に立派な築地塀と柳並木をしたがえていて、行き交うひとびとの目を一直線に宮城へと誘導する。正面のずっと先に見える朱い門はすでに閉ざされているが、華弥はそれをしっかり見据えて堂々と歩を進めていた。
「大丈夫ですよ」
そのまま振り向かずに言う。
「どうぞわたしにおまかせください」
初春のやわらかな西陽が、そのきれいな横顔にかかる髪を透かしていた。
朱はというと、まえに都へ来たときのことをぼんやり思い出していた。一度目は、父と一緒に。二度目は、その父を探しに、ひとりで。
それ以来、朱と華弥は二人っきりだ。
もう九年になる。もし生きていたとしても、きっとどこかでべつの家族をつくっているだろう。それはそれでいいのだ、と朱は思う。ただ、妹の晴れ姿を見せられないのが残念だった。
なにせ主上のお嫁さんだ。どれだけいいものを着せてもらえるのだろう。
「楽しみだねえ、華弥。あんたの結婚式」
うきうきと言えば、「あなたおわかり? とっくに期限は過ぎているんですよ?」と枝乃が尖った声を出した。
「そりゃわかってるけどさ、華弥が大丈夫って言うなら大丈夫だよ」
「もうなんなんです、あなたがた。いいです、あたくしは覚悟を決めました。どうせ荷物をまとめるのに一度宮城へ戻らなくてはいけませんから、こうなったら正々堂々正面から乗り込んでみせますよ」
と言った直後である。目のまえに迫った宮城の門を見て、枝乃は「ひいいやあぁぁ」と悲鳴をあげた。
「ととさま、かかさま、ごめんなさい……」
なるほどたいした覚悟である。
背中を揺らすのは彼の体の震えだろう。それがじっとりと湿ってくるのでよもや失禁したのではあるまいなと思ったが、みずから朱の背をおりた彼の股座にそのしるしはなかった。しかしいまにもそうなりそうな様子でちまちまと前進し、門衛にかけた声は見事なまでに高くか細い。
「あたくし女宮侍補の枝乃でございます」
歯の鳴る音まで聞こえてきそうだ。
「妃嬪候補の方々をお連れいたしました。お通しください」
手に持って見せているのは役人の証だろうか。門衛たちはじろじろとそれを眺めて顔をしかめた。
「たしかに女宮侍補にはちがいあるまいが、妃嬪候補の入宮期間はとうに過ぎておる。女たちを内に入れるわけにはいかんな」
「ですよねえぇ」
枝乃はついにその場にへたり込んだ。
「ああ、はかない夢だった。こんなに早く終わってしまうのならいっそはじめから見ようとなどしなければよかった。ととさま、かかさま、親不孝をお許しください。あたくしは先に黄泉国へ参ります」
「おいおいおいおい」
と焦ったのは朱である。
「ちょっと、正気かい、あんたら? こんなにかわいくて賢い華弥をここに放り出すって?」
そんなことが許されるものか。朱は足を踏み鳴らして門衛に近づいた。
「こんなにかわいくて賢い華弥を?」
見下ろす顔に朱自身の影が落ちる。門衛はいくらかたじろいだ様子だったが、さすがに逃げ出すような真似はしなかった。
「まあたしかにかわいいが」
「だろ? かわいいだろ?」
「しかし、だからといって通すわけにはいかん」
「なんで? かわいいのに?」
おかしいじゃないか、と同意を求めて振り向けば、枝乃がさめざめと泣いている。彼もまた華弥の悲運を嘆いているのだ。わかる。これは不当な扱いであると言わざるを得ない。
それで朱は完全に理解した。これが「世も末」というやつなのだ。
「ひどい話だよ……」
朱は天をあおいだ。
しかし、そんな絶望から救ってくれるのがやっぱり華弥なのである。聡明な妹はふだんどおりの落ち着いた声で、朱を包み込むように言った。
「大丈夫よ、姉さん」
地上に視線を戻すと、そこにあったのはまばゆいばかりの笑みである。朱の胸はきれいに洗われた。ここが天ノ原であったかと得心した。
「みなさま、お騒がせしてもうしわけありません」
ゆったりとした足取りで華弥が歩み出る。その足跡すら香り立つようで、門衛たちからもため息がもれた。
華弥は枝乃のそばで足を止め、膝を折った。涙に濡れる頬をやさしくぬぐい、ほほ笑む。
「枝乃さま、お顔を上げてください。立てますか?」
枝乃は呆けたような顔で目をしばたたかせていたが、やがてコクリとうなずいた。そんな彼を立たせてやってから、衣服の砂を丁寧に払い、さらに袖やすそを直してやることまで忘れなかった華弥の姿は、まさしく天女である。朱は目頭の熱くなるのを感じた。
「ともかく、枝乃さまは一度宮城へお戻りになる必要があるのですよね」
華弥の問いかけに、糸のような目に戻った枝乃が再び首を縦に振る。
「ええ、そうです。典侍さまにことの次第をご報告申し上げなくては。それから正式に解雇の令が下って、あたくしは追い出されます」
言いながらうつむいた。
「典侍さまとは、おえらい方ですか」
「もちろん。あたくしたちの長官ですよ。後宮のいっさいを取り仕切っておられます」
それを聞いた華弥の笑みが深くなった。ふところからちいさな包みを取り出すと、枝乃の手を取ってそっと握らせる。
「ではこれを、典侍さまに」
枝乃は眉をひそめた。
「あらまあ、賄賂ですか。そんなことをしても無駄だと思いますけれどね」
「気が向かなければ、どうぞ捨ててください。でももしわたしを信じてくださるのなら、なにも聞かずに受け取ってください」
しばしの沈黙がおりる。
けっきょく、枝乃はそれをかすかな鼻息とともに袖にしまった。
「ま、どうせもう追い出される身ですから」
そうしてさっさと門の向こうへ行ってしまった。
朱はじっと黙って見ていた。妹のすることに口出しをするつもりはない。そもそも朱はただの付き添いである。妹の邪魔をしないのが最大の仕事であって、あとはその結果にしたがうだけなのだ。
「もうすこし、ここにいてもよろしいでしょうか」
華弥の言葉に門衛たちがうなずくのが見えた。鼻の下が伸びている。正常な反応だからこれはうれしい。どうやら会話が弾みはじめているらしい彼らの様子を見守りながら、朱は門のそばに腰をおろした。
それからまたしばらく経ち、そろそろ陽が完全に沈もうかというころのことである。
門の向こうがにわかに騒がしくなった。叫ぶようなひとの声と、やたら派手な足音。なんとなく聞き覚えのある感じのそれらがぐっと近づいたと思ったら、ずいぶんと荒々しく門が開かれた。
果たしてそこに立っていたのは、息を切らし、真っ赤な顔で汗をかく枝乃であった。
「あなたたち、入って! おはやく!」
朱は華弥の顔を見た。
驚いた様子などまるでなく、どこかほっとしたようにゆるんだ頬が、ふわりと明るい花を咲かせていた。